2009'07.27.Mon
週末にすごく頑固だったおじいちゃんが亡くなり、
あ っ という間に骨壷に入ってしまいました 。
良好な関係だったかというと 正直に言って、 私がまだまだガキな所為もあって、
ほんとうに最後の最後で、
少しだけ、余裕を持って接する事ができるようになった… というレベル。
というか、 わたしが精神的に幼すぎたせいだけれど
それはもう、 大っ 嫌 い だった 、 というのが正直なところ。
そのおじいちゃんの日記が出てきました。
すごい量です。
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・おじいちゃんは日本画を描いてたので、
可愛い挿絵が沢山はいったA4サイズの日記でした。
・冊数は、確認できたもので 7年分 、過去描いていた絵日記を含めると、
一体どれくらいあるのか分からないくらいです。
・年間行事のページに 相撲の各場所の旗 が描いてあり、
サクラが咲くころには サクラの絵 が描いてありました。
原爆の日には広島、長崎とも 赤く燃えた十字架 が描いてあり、
丑の日には うなぎの絵 が描いてありました。
・切り抜きも沢山はるので、 一冊が大分 ふくらんでいました。
Xmasの時期が一番工夫してあり、
毎年色々と可愛い切り抜きを探してきて、のりで細かく貼っていました。
また、年末にはその年にあった大きな出来事の記事をピックアップして
新聞の切り抜きを貼ってありました。
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祖父はそれを自分の“仕事”代わりにしていたようです。
それぞれの絵はカラーサインペンで小さく器用に描いてありました。
体調やその日のニュース、マメに顔を出しているイトコの活躍なども書いてあり、
中学生の頃のわたしや弟の事は 「 まさに、今の子供という感じ 」 と評されてました。
…
たしかに その頃は無愛想きめこんでたので、
質問に答える程度のコミュニケーションだったと…。
かなり頑固な おじいさんだったので、
日記で可愛い挿絵をこまごまと描いてたり、
ちょきちょき チラシを切って Xmas の時期のスケジュールを飾ってたりしてるのを、
物凄く 意外なモノを見たような気分で パラパラめくっていました。
というか、 わたしも 一時期 似たような事をしていたので、
やっぱ 血縁かな、と思いました。
政治から 天気から 体調から 家事まで
かなり細かく書き込んであり、誰の子供が何をした という事まで記載してあるので、
最後まで気の確かな人だったのだと思います。
亡くなる2日前には
「死ねば良いと思っているんだろう。オレは死なねぇんだ」
とハッキリ言っていたので。
叔母さんが 思わず「そりゃ凄いわね。」 と言い返したり。
一族の中でも出来の悪い孫としては、 かなり憎らしい 印象だったのですが、
日記だと繊細な人格が目立ち、
「おいしかった」 「うれしかった」 「ありがとう」 「大人になった」など
普段ちゃんと言葉で伝えているのか分からない、素直な感情が記されていたので、
何だかちょっと泣けました。
ほんとは 寂しがりで、おっとりしていて、生真面目な 人 …
かもしれません。
いっときは 「早く 逝かんかなあ、 」 的な想いも抱いていたので、
亡くなっても さっぱりしたもんかと思っていたら、
似たもの同士だったな、という事にふと思い至り、
ちょっと自分が死んだような、寂しい気分になりました。
( 美大に行った とか 素直じゃない とか それ以外あんまり共通点ないけど )
周りも、めんどくさい人だったからこそ、 ナンかしらの思い入れがあったようで
意外と悲しいもんだな、という想いがあったようです。
憎らしい人ほど 自分の不出来な部分をピタリと言い当てているモノで、
なかなか 素直には聞けないけれど 大事な事を言っていたような気がします。
おじいさんの地味ながらもしっかりした生活態度を読んでいると
とにかく 自分は怠惰だなァ と 反省して、怒られたような気分になります。
かなり激烈で 、何故一緒にいるのか? よく分からない
ケンカ ケンカ の老夫婦だったけれど、
数々の 面白エピソードを残して 父方は両方逝ってしまいました。
死んでも生きているような気がする人というのは 居るものですね。
正直 、 恐くて 遺影すら直視できません。
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